011薩州鹿児島征討記之内 〔賊軍新政厚徳の旗を押立て進軍の図〕
御届三月廿六日
出板人 舩津忠次郎 東福田町二番地
画工 月岡米次郎 南金六町十四番地
價六銭
右図:桐野利秋・西郷隆盛・浅井直之進・別府新助・同九郎・西郷小平・永山矢一郎・池上四郎
中図:高城十二・逸見十郎太・河野四郎・中島武彦・市本勘助・長山某・村田三介・第子丸応助
左図:篠原国幹・淵辺高照・熊本城
旧藩士族西郷隆盛ハ方今縣下同意の士族○○を集合して新立良政を施行すと隣國頑固の士族暴徒等を煽動し勇威を逞し遂に一挙して新政厚徳と記したる簱章を翻し縣境要路に䑓場を築き防戦の軍備げんにして諸口へ出兵せしむ因て政府より征討の命令ありて陸海軍及び鎮䑓の諸隊進軍して屢(しばしば)賊兵を攻撃す就中(なかんずく)高瀬口の激戦には伊奈佐山の䑓場を乗取り田原坂を抜き植木口の賊を打拂ひ官軍大勝利にて賊の巨魁篠原ハ手傷を負ひ村田三介ハ重傷にて既に亡命すと云
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篠原手傷→既に3月4日に吉次越で戦死している。
村田三介重傷にて既に亡命→3月12日山鹿方面にて戦死している。
村田三介は池上四郎率いる五番大隊の二番小隊長であった。