001鹿児嶋征討記之内 高瀬口河通ノ戦争野津公聯隊旗を取返ス図
かごしませいとうきのうち たかせぐちかわどおりのせんそうのづこうれんたいきをとりかへすず
御届明治十年三月十三日
出板人 熊谷庄七 小舟町三丁目十一番地
画工 月岡米次郎 南金六町十四番地
右図:篠原国幹・西郷隆盛・肥後助右衛門・児玉八之進
中図:野津少将公
左図:吉田陸軍少佐・淵辺高照・別府新助
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2月22日熊本鎮台に向かって先頭を進んでいた乃木希典少佐率いる歩兵第14連隊は薩軍の先鋒と植木向坂辺りで遭遇、戦闘となり軍旗を奪われてしまう。熊本城を包囲する薩軍は篭城兵の戦意をくじくために軍旗を効果的に使用した。その後、村田三介の未亡人に遺品として渡された軍旗が政府の手に戻るのは戦後4ヶ月を過ぎた明治11年1月の事であった。
つまり、野津大佐は戦場で軍旗を取り戻してはいないのだ。(野津道貫大佐は第二旅団の参謀長であり、第一旅団長の野津鎮雄少将の弟)
同じ画題を描いた作品に
004鹿児島征討記内 熊本城ヨリ諸所戦争之図〔野津大佐軍旗を奪還す〕
がある。