PC006中図のみタイトル不詳
寧斎(画工名から)
御届明治十年十月廿七日
画工 石塚政則 下駒込八十四番地
出板人 熊谷庄七 小舟町三丁目十一番地
定價六戔
篠原国幹娘、桐野利秋妻、桐野利秋、村田新八、池辺吉十郎、篠原国幹、前原一格、貴島清、町田啓次郎、大山綱良、逸見十郎太
下
西郷曰(いわく)
我をはじめ多勢の亡士 此土(しど=現世)へ来りしハ余の義にあらず 方今日本ハ開化文明日に進ミ月に盛んなり 故に小悪を犯せし者ハ格別寛大の御所置に行ハるるハ有がたき御仁政ならずや然るに此土はいまだ旧弊を改正せず 小罪の者といへ共 頗る(すこぶる)苛酷に苦めるよし 娑婆にて慥かに(たしかに)聞及ぶ示後諸刑の規則を改定し亡者どもへ日夜怠慢なく説教を聴聞させ 後世ハ慈善をもつぱらに心がけ忠孝を尽すハ云ふまでもなく 薄命貧困の者へハ分限に応じて救助なし 各自の活業(なりはひ)を勉強せバ 招かずとも富貴安樂の身となるハ必然の道理なり苟くも(いやしくも)心取ちがひなし方向を誤まり再び此土へ来らざるやう 懇々説諭なし改心せし者ハ早く極楽浄土へつかはすべし
上右から
(右図からの続き)さんや三づ川のばあさん青おにや赤おにまでが亦そろって諸先生をはじめわたしどもの崇むるひとやら申ますがぢごくでもおべつかをしますか 子へ
女たい曰
ほんにねへ どれも どれも
いぢのわるさうなつらがまへだねへ
女たい
ヲヤヲヤ
モウぢごく
けんへほどなく
なつたかねへ
大ぜいむかひに
出てきたこと
どれもどれもめうな
がんしょくの人
たちだねへ
亡士曰
アレ
ごらんぜよ
おのおのがたの
ゆうきに
おじてゑんまをはじめ
おにどもまでがすずなつて
ふるへてをります
アハハハハ
謎の絵師、寧斎・石塚政則の作品である。今回、個人で収集されている方から画像の提供をいただいた。
おそらく3枚続の中図であろう。作品の一部だけなので今回は正式な作品数としてのカウントは控えるが、作品の内容やこめられた情報は非常に興味深い。敗北し、この世を去った西郷隆盛の軍団が地獄に進軍する。地獄を改革する勢いで進んでいくので閻魔大王や、鬼どもが怖気づいているという絵柄のようだ。右図に西郷隆盛、左図に閻魔大王が配置してあった可能性が高い。残りの部分の出現を待ちたい。
寧斎は国立国会図書館所蔵の西南戦争錦絵の中にも作品があるが、絵師寧斎本人の著作権継承が定かでないため(多分)、館内限定公開となっている。情報に関してはu014明治十年二月中旬鹿児嶋暴徒出陣之図を参照のこと。