PC003鹿児島再乱西郷隆盛最期弌戰
かごしまさいらん さいごうたかもり さいごのいっせん
梅堂 國政 図 年玉印 個人蔵
明治十年十月三日御届
画工 竹内榮久 長谷川丁廿四番地
出版人 山本平吉 新葭町二番地
記事
西郷桐野以下の賊ハ
延岡落城の後ハ日向の
高千穂の山間に退縮せ
しが密に策を決し
八月十八日江之瀧山
を突出し官軍の
囲みを突 三田井に
出 道々の分署を
おそひ同國 飯野小林
を経て大隅の國
横川吉田辺へ
討て出
官軍を破りしその
勢威猛虎の荒たる
如く遂に九月一日午前
鹿児島へ討入弾薬を
掠奪シ猶弁天臺場に
備へ在る大砲四門その外の銃器
うばひ夜に入て倍々賊勢盛ん
市街ハ兵火焔々として天を
焦しさながら暗夜も
白晝の如く飛丸雨より
はげしく頗る未曾有の激戦也
蓋し賊兵ハ勢威に乗じ
縣廳ならびに旧私学校
うばひ城山の要地占
根據となし 兼て官軍
築きたる堅塁によつて發砲なし
一時勢ひをふるひしが其後官軍
米倉に篭りたると戦ひけるに
貴島隊の長貴島清ハ乱軍の
内に陣没なし又
中津隊の長たる
増田宋太郎ハ捕縛となり賊勢少
衰へるに追々入港の官軍ハ
東伏見宮をはじめ河村
三好その他の将校各軍議
策畧を決定し九月廿四日
拂暁海陸間道すき間
なく城山目的て(さして)攻撃なすに遉(さすが)剽悍
なる賊軍も前後左右の大軍に武勇を
震ひし西郷桐野四方の固(かこみ)崩るを見て
遺憾も(くちをしくも)今ハ術策尽果けん いでや最期を
遂べし(とぐべし)と諸将自ら烈敷(はげしく)戦ひ四角八面に
荒廻り遂に討死なしたりとぞ
既に西郷ハ過し二月中旬より熊本へ
操出し川尻と本営に構へし
以来屡々(しばしば)官軍に抗すること半
年余各所の戦ひ旧陸軍大将
の名義むなしからず雖然(しかりといへども)
維新前より報國の志し
あつく忠勤をつくし其功
莫大なりも大義をあやまり
賊名を得て城山の露ときえしハ
実に(げに)惜むべきことどもなり
(以下は難解)
本営に有りし際
書○ありし歌
なりとぞ
ひと夜だに ふし○き野辺の
ささの庵 なれぬる神や
露すきもなし
南洲