B015鹿児嶋新聞植木驛戦之圖
Kagoshima shimbun Uegisawa tatakai no zu (News from Kagoshima: The Battle at Uegi Swamp)
明治十年三月二日御届
出版人 小森宗次郎 馬喰町四丁目十八番地
画工 安達平七 堀江町二丁目二番地
右図 篠原国幹 桐野利秋 田村某
中図 淵邉某左図 児玉八之進
奮撃なしたる賊兵ハ必死を究め官軍と激戦ありしが官軍は植木の宿に攻めいたり放大をなしたる暫時の炮聲一時ハ互に退きしが暴徒ハ兵器を分捕され散々其場を迯(逃の異体字)去りける
編輯 大田鏛誌
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大英博物館のタイトルはローマ字表記と英語表記と丁寧であるが、間違いがある。驛=えきを澤=さわと読み間違えている。その結果英語表記は意味としては「うえぎさわ(うえぎぬま)の戦い」みたいな変な事になっている。
当時の驛は駅伝制における街道の中継地であるが、「宿場」「宿」という呼び方もされた。いわゆる鉄道の駅ではない。この図においてもタイトルは植木驛、本文では植木の宿(うえきのしゅく)と表記されている。
九州鉄道が植木駅を開業するのは、高瀬ー熊本間が開通した1891年(明治24年)の事である。