B001教導立志基(Self-made Men Worthy of Emulation)
明治十八年十月廿六日御届
四十五
画工◯
出板 松木平吉 両国吉川町二番地
福地源一郎ハ天保十四年長崎に生れ聡◯五才にて字を能写す七才にして書を読む幼稚より幕臣たらん事を志し壮年にて政府に事へ欧州各国へ航すること三回後市井に退き商業社会を益す明治六年日報社々長となり西南の乱にハ戦地の実況を視察し天◯◯◯尺し親く奏上す且論理文勢暢達にして真に仙筆とも云実に明治の一傑俊なり
東江述
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福地源一郎は西南戦争を現地取材した第一人者として知られる。
御届は明治十八年と西南戦争後8年もたった頃の錦絵であるが、その取材者としての福地を強烈に意識した画面となっている。砲弾で避けた樹木の間にたつ洋装の福地は厳しくも落ち着いた表情で取材メモを取っている。足下には敗兵の剣が落ちており、中景に渡河する官軍兵、遠くの岩山の上では激しい肉弾戦が行われている。なんとダイナミックな構図だろう。
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株式会社文生書院のホームページで教導立志基を見ると、「明治16年(1883)から明治22年(1889)にわたって刊行された歴史教訓的シリーズ(教訓絵)で、小林清親、月岡芳年、水野年方、井上安治 (探景)などが筆を執っています。」
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