063日向佐土原落城之図
ひうがさどはららくじゃうのづ
明治十年八月二十日御届
出板人 長谷川忠兵エ 蛎売丁(蛎殻町)二丁目八番地
画工 橋本直義 上野北大門丁十一番地
右図:三好少将・曽我少将・三浦少将
中図:山田少将・奥小佐・辺見十郎太・山川中佐
左図:西郷隆盛
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佐土原城は1870年に広瀬に移転したため、建造物は全て破却された。そして移転先の広瀬の城も廃藩置県のため未完のまま取り壊された。との事なので、この錦絵にあるような立派な城郭は無かっただろう。南九州には天守のある城は無いという定説に対して、江戸時代に書かれた屏風に描かれていたり、発掘調査が行われたりで、天守にあたる建物はあることはあったらしい。
(ウィキペディアの佐土原城の項目を要約)