040西郷涅槃像
さいがうねはんざう
明治十年十月五日御届
出板人 熊谷庄七 小舟町三丁目十一番地
画工 長島辰五郎 須田町四番地
定價 三戔五リ
ハテ くすりハ とどかぬかしらん
特〇
これまでさんざんわるくいふやうものの かうなつてみりやァ又特夢のさハりにならうかとそれがかなしくッてなりませんどうか隆盛さんもう一度ばけ物でもいいからどうぞ出てくださいまし
士族
どうかどうかとたのんだその甲斐もなふこのしまつ○も○もきれはてちやァなくより外にしかたがねへァァかなしいかなしい
隆盛権妻
君におわかれ申てハナニめんぼくにながらへん女ながらも隆盛が妻とよバれしこのす女親腹からよりつたハりし剃刀をふり回し敵にはせ向ひ一人なりともうち死にしやらの力らしらをはらさせまするまづ丈までハなみだの不柔わんになミなミためこんで○水むけのかハりにさし上ますァァかなしいかなしい
じゆしや
西郷ハ最後のなまりにて名ハその人(にん)の体を顕ハすとやらハテあらそハれぬ名詮自性
(みょうせんじしょう:物の名は、その物自体の本性を表すということ。名が自らの性質を備えているということ。▽仏教語。略して「名詮」ということもある。「詮」はときあかす意。「自性」はその物の性質、本性。「性」は「称」とも書く。)
坊主
天上天下唯が独尊と自からほこり○○とも惟らハ君に及ぶべき神変不思議の智條体略品玉つかひの日の下開山お化の出ぬやうにドレお念仏を申シませう生死だァ生死だァ
浄るりの師直
かかるやばんの隆盛がさしもに高き城山に死に付ても妻や子をおもひさしもおいとしい
ころ付
めつたむしやうに欲張時きやァわれわれさへも愚の連が連なり多くある時ハ諭す便○(よすが)もなしとかいへりかくまで○相をさとりたる隆盛さまでも城山の一六勝負の戦ひにやァ場坪喰ひてか欲となり果ハお寺のはんじやうにわれわれどもがお念仏申上ます丸まけだァ丸まけだァ
馬
むまくやらうと思ひのなかからかうなつてしまやァしかたがねへ馬の耳に念仏といふけれども一トくさりハよまざァなるめへァァなむあミだぶつ
娘
申シ隆盛さまあなたのお姿を絵草紙やでミれバ見るほとおいさましいあんなつよい大物がどうしておまけなされたかとごひゐきの連中が思ひ出してもおいとしハかたミとそ今ハあれなるお星さま見るにつけても思ひだし忘るるひまもござんせぬ思へばはかない浮世じやなァ
○○
ないてだますが商売なれどもこんどハなかなかうそなきどころ か心から底から本とうのあつい涙がこぼれますあへハ別れのはじめといへどきのふともけさまでもおいさましい評判がかくまでころりと負たとハ虎列刺(これら)病よりはかない御さいごおいとしうぞんじますわいなァ
西郷ひなたれん
あんまりかなしくッてこしがぬけてたたれねへアソアソ
○
うめへ事とハな○といひながらなんだかちがうがこ○つた
へび
ぬらくらしているうちにやァどうかと思つたが首が地▲▲もぐりときいちやァのうしかたがねへなさけねへことをした
うし
もうもうかなしくってなりません
めくら
見へねへめでさつしのとふりなミだがどつとながれます○たかもりさまこのほくろあんまはりのれうぢでもかないませんか
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