明治十 六月廿 日御届
出版 山村金三郎 吉堅丁五十六番地
画工 永島辰五郎 須田丁四番地
六銭
丸に大の文字は山村金三郎の版元印
右図 中原尚雄
中図 岡内春俊、旧鹿児嶋 大山綱良
旧鹿児島縣令大山綱良ハ前名格之助と言専ら勤王のこころさし厚き人物なりしが今度同縣出張三ツ井銀行の金五十万円を奪暴徒へ送りしとて朝疑を蒙り官位奪ハれそれより東京へ護送せられ司法省にて再三尋問ありしがと更に口をひらかさりしゆへ今度再び長崎へ送り戻しに同臨時裁判所にて尋問いたされるとの風聞なり
小生 永島乕重(ながしまとらしげ) 記
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中原尚雄は鹿児島出身の警察官である。西南戦争直前の一月、川路利良の指示で帰郷したが、私学校生徒にとらえられ厳しい尋問の末に明治政府が西郷を暗殺しようとした陰謀があったことを自白した。この「西郷暗殺計画を政府に直接問いただす」というのが、西南戦争における薩軍の名分である。その後中原は、3月10日海路にて鹿児島に入った勅使柳原前光の一行に救出され、官船神奈川丸に乗り込み東京に移送される。
3月21日に岩村通俊が新しい鹿児島県令に任命されるが、それに先立つ3月12日大山綱良は中原尚雄とともに海路、神戸をへて東京へ護送される。すぐに官位を剥奪され、臨時裁判にかけられた。その後、西南戦争終結直後の9月30日、官金を西郷軍に提供した罪を問われ長崎にて斬首される。享年53である。
背景を走っている鉄道はおそらく新橋ー横浜間の日本最初の路線であろう。西南戦争の1877年までに開通していたのは、この新橋ー横浜間と神戸ー京都間のみである。神戸の可能性もあるがどうだろう?