S010西國紀聞出陣問答
さいこくきぶん しやつぢんもんだふ
明治十年 月 日御届
板 福田熊次郎 長谷川町廿番地
画工 荒川八十八 上野町一丁目十二番地
彫工 弥太
▲ 西郷小兵衛 菊五郎
● 桐野利秋 團十郎
●ヿ軍を統(すべ)権をたもつ者ハ将なり 勝を制し敵を破る者ハ衆なり と三畧記にもいへるが如く足下ハ我らが総督たる隆盛殿の弟にて勇畧もつとも世に聞え股肱とたのむ人なれバ熊本縣下へ進入の先鋒となり衆に抽んで(ぬきんで)功名して舎兄の本意を達されよ
▲ヿソハ仰迄(おほせまで)も◯ハず兄隆盛を初めとして桐野篠原両将まで今度の暴挙に與(くみ)せしうへハいかで拙者が違背すべき 去ながら我兵の熊本縣へ乱入するハ軍配甚だ然るべからず 夫故拙者ハ先鋒に進んで無益の討死を致すを功とハ存じ申さぬ
●ヿコハ異なりたる足下の詞(ことば)熊本縣へ出ずして何れの地より攻入べきや
▲ヿ今度の一挙ハ孤軍にて内國中の大軍を引受るべき企てなれバ虚を張て人を迷ハせ実を匿して敵に知らせず熊もと城を取んとならバ選りし二千の兵士をバ汽舩に乗て天艸より長崎港へ夜中に送り 又一隊ハ不意に起り縣廳を襲ふ時ハ海陸一時の勝利ならん
●ヿシテ熊本の鎮臺より繰出す兵を喰止る用心なくんバ不覚をとらん▲ヿ夫にハ兼て別隊を設けて営所に火を放ち 尚砲臺を乗取バ只一挙にして港を取 彼に海路の備ありとも之を救ふに由なからん是ぞ謂ゆる迅雷耳を掩ふに及ぬ妙策ならずや
●ヿさすれバ官軍進撃の便路を一時たつに似たれど近國にある臺兵が此変動を聞時ハ救の兵を出すべし夫をも防ぐ軍略ありや
▲ヿ夫等ハ最も心易し 一手ハ縣廳営所にせまり後軍ハ川尻より進んで城を囲む時ハ一日たりとも支ゆる術なく忽ち落城するならん 長崎既に我手にあり熊本も又陥らバ筑前筑後豊前豊後ハ響の物に応ずる如く我軍門に帰順すべし さすれバ九州一般ハ忽ち味方の所領とならん 疾く檄文を送られよ
●ヿ足下の軍配奇策に似たれど凡(およそ)今度の企ハ二万に近き大軍にて我輩上京すると聞バ誰かハ是を拒むべき 熊本なんどハ刃(やいば)に血ぬらず只一挙にして通行せん 何かハ軍慮を費すべき 又長崎ハ廣場にて寡兵の守るべき地に非ず 政府の軍艦群がり来て再び奪かへされなバ兵機屈して利なきの道理
▲ヿスリヤかほど迄申ても桐野公にハ迂策なる一筋道を上京さるるや
●ヿ先んずれバ人を制し後れバ人に征せらる 昔し上杉謙信が川中島の戦争に甲陽の強敵を打破つたる顰(ひそみ)に倣ひ此青竹を○(さい)に立 全軍を率き陸路より平押に進む時ハ此青竹の
枯ぬ間に東京迄も攻入べし 気遣ひめさるな小平殿
▲ヿ遖れ(あっぱれ)先手の大将と頼みし君が各迄に思慮を◯されたる上ハお諌め申すも詮なき事 去◯(さりとて)陸路の先鋒を辞すれバ命惜しむに似たれバ真先◯(うけ)て押出し 叶ハぬ時ハ兼ての覚悟二月の空の淡雪と
●ヿ消る間待ぬ春風に 新政の旗吹靡せ(ふきなびかせ) 味方の勝利ハまたたくま
▲ヿとハ云物の勝敗ハ 何れを夫としら波の 寄てハ返す薩摩潟
●ヿ千尋の海の底深く巧みし暴挙の首途に東に当りし破軍星(はぐんせい)ひかりを増(ませ)しハ味方の吉瑞
▲ヿ山野に響くあの祝砲
●ヿハテいさましき
●▲ヿしやつぢんじやなァ
応需 戰々堂主人〇〇
豊原國周 筆
静岡県立中央図書館での分類は以下の通り
請求記号 | K915-108-028-007 |
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画題(題名) | 西国紀聞出陣問答 |
絵師(画工名) | 応需豊原国周筆印(豊原国周):荒川八十八 |
版元 | 福田熊次郎板 |
出版年 | 明治10年届(1877) |
員数 | 3枚続 |
版型 | 大判 |
彩色 | 錦絵 |
資料名 | 上村翁旧蔵浮世絵集(28) |
カテゴリ | /浮世絵/21集~30集/28集-国周 |
このページの画像は静岡県立中央図書館のデジタルデータを利用して構成している。また、データに関しては東京大学史料編纂所錦絵データベースを参考にした。
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