077鹿児島血戦之圖 〔角力畳を楯に勇戦〕
明治十年四月十四日御届
出版人 児玉弥七 浅草南馬道◯丁一番地
画工 橋本直義 上野北大門丁十一番地
右図:西郷隆盛・桐野利秋
中図:角力勇戦
左図:野津少将
西京島原に居る角力頭取朝男山市五郎弟子四人が筑後より宿村送りにて帰京し舊冬京阪はいふに及ハず近國の角力二百人ばかりにて九州路諸所を興行しはてハ鹿児島へ行逗留せしうち測らずも今度の暴動の為に押留られ身を引かへりがたく( 空白 )の時何れも引率せられ戦争の場合に出る毎に先手に押立られ水に浸せる畳を持たせ銃丸を防がせ賊徒其下を潜り出て官兵の中へ切入たる由角力ハ畳故手を負ずて山路を逃来り西京へ着せしとぞ
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相撲取りが畳を持って弾除けになるという画題は数点ある。江戸時代に正式な横綱免許を発行していた熊本の吉田司家が西南戦争で薩軍に加わるということがあるが、この画には関係ない。この画の中の記事によると、京都の相撲取り朝男山市五郎とその弟子が九州を興行して回っていたが、鹿児島に滞在中に戦争が勃発したため拘束されて、畳を持って先頭に立たされ弾除けの役を担わされた。そして、戦闘の混乱の中で山中を逃げて京都へ帰った、というものである。無理矢理参戦させられたという感じが希薄な記事があり、読み比べると、面白い。
008鹿児嶋戦争畳楯図 4/12発行 角力頭取朝男山市五郎・朝男山門人
034鹿児島新聞 山鹿戦争之図 4/5発行 男山新吉・咲ノ潟五郎吉・朝日山松五郎
050鹿児島新画之内 熊本県田原坂撃戦之図 4/5発行 朝錦寅吉・男山新吉・朝日山市五郎
077鹿児島血戦之図 〔角力畳を楯に勇戦〕 4/14発行 朝男山市五郎・弟子四人
他に、官軍側で戦った角力取梅ケ谷藤太郎は、明治9年に福岡県で興行を行っていた際に秋月の乱に遭遇し、反乱氏族の平定に活躍した。
023暴徒安見橋合戦 9/4発行 は、熊本城攻防の戦いの中で梅ヶ谷が官軍側で戦っている。