061鹿児島伝報記 甲突川戦争図 〔賊徒女軍船中にて奮戦〕
かごしまでんぽうき かうとつがはせんさうのづ
明治十年八月二日御届
出板人 木村清助 神田◯石丁八番地
画工 橋本直義 上野北大門丁十一番地
右図:桐野利秋・西郷隆盛
五月雨の只〇〇○る皐月空天漲る炮煙暗々〇〇○〇〇赫々たる日光を覆ひ四方に飛走す弾丸ハ篠を束ねて突(つく)如く大雨に等しき其中些少も恐れぬ強気の薩兵去る(さんぬる)五日の暁天より甲突(かうとつ)川辺に押寄て連日抗戦休ミなく互ひに争ふ武橋にひのきを削る修羅の街(ちまた)思ひそかたき石橋にあふるる血汐から紅燃る計りの玉たすき四季折○の草花をハ裾に染出す花美衣装白柄の長刀或ハまた鎗刀なとの得もの携へしハ薩軍中に美名を得し女軍隊と〇〇○知られけり
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甲突川にはこうとつがわと振仮名がふってあるが、こうつきがわが本当。鹿児島の中心部を北西から南東に流れる甲突川には上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の5つの大きなアーチ石橋が架かっていた。文中に武橋とあるので、最下流の武之橋から見える橋は高麗橋である。
平成5年の集中豪雨によりこの武之橋と新上橋が流出して失われてしまった。その後残りの3橋は石橋記念公園に移築され今も見る事ができる。
当時の石橋の姿がドラマチックに描かれた貴重な画といえるだろう。