054鹿児島賊徒鎮静依諸将天盃頂戴之図
かごしまぞくとちんせいによってしょしょうてんはいてうだいのづ
明治十年九月二十日御届
板 大倉孫兵エ 日本橋通一丁目十九バンチ
画 橋本直義 上野北大門丁十一バンチ
彫工 銀次郎
右図:奥倉君・岡本君・高橋君・福原君・三好君・野津君・川路君・谷干城君
中図:岩倉公・仁和寺宮
左図:有栖川宮・三条公・山県君
昨日ハ薩肥豊の間に奔走して弾丸の雨を侵し今日ハ殿上に天盃を賜りて酒宴の興を尽す是蓋し征討大総督の宮をはじめ諸将の軍略其図適(かなひ)兵士の奮発忠戦によつてさしも猖獗なる賊兵を悉く誅罰し上ハ震襟(宸襟)を安じ奉り下万民の塗炭をはらふ其功莫大なれバなり依(よって)以て美名を後世に輝かせり
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戦争終結は9月24日の西郷隆盛自刃をもってするといえよう。それであれば、9月20日は政府軍最後の詰めであり、天盃頂戴には少し早いだろう。
056西国鎮静撫諸将賜天盃之図 7/25 はもっと早い。敗走中ではあるが、まだ、都城から宮崎方面へ展開している頃だ。