u011薩摩大合戰
雷斎 年基
玉龍軒彫
十年三月廿四届?
編輯出版彫 鈴木雷之助(住所は判読不能)
綿喜 印(右図にあり綿屋喜兵衛の印)
右図:西郷隆盛、石井猛之助、田中久太郎、西郷小平、長山某、小田啓助、鳥居イカウ、桐野利秋、阪田少尉
中図:記事、篠原国幹、能勢十九郎、山内半左衛郎、河野仲五郎、村田三助、佐瀬一格、貴嶋卯太郎、吉松大佐、タイトル
左図:森中尉、加藤中尉、鷲頭少尉、堅田少尉、川路利良、野津少将、山田少将、三好少将、山縣参軍、福原大佐、大島少佐、蘇我少将、揖斐大佐、村田新八
日本開闢以来の大合戰と菊の御旗を東風に打靡して西の方薩摩の國に西郷を討平ん(うちたひらげん)と軍だち互に放出す鐡砲は雨や霰や雪氷火水の中も厭はずに龍乕(りゅうこ)の雄を争ふ熊本城御代明に治んと(みよあきらかにおさまらん)と十年二月初より逐々(おいおい)進む人数ハ杉成算に積程も俵阪(たはらさか)へ繰出し繁き植木の戰に木の葉天狗を追散しまづ吉次峠を攻め落し音も高瀬に本営を移して斯に有栖川今に島津を付○れて日ならず鎮め富士の山縣参軍が勝ハ官軍負るハ賊と謡ふ言葉を此畫圖(このえず)に寫して〇〇なれバ誤視玉ふ(あやまりみたまふ)こと勿(なかれ)
以下、綿谷喜兵衛に関して。
綿喜は綿屋喜兵衝わたやきへえ
綿喜 ワタキ ハタキ 金随堂 大坂 心斎橋塩町角・同橋平野町西入、北堀江市之北側 享保1716,1736〜明治 前田氏 上方絵の代表的な版元
作例 長秀: 伊左衛門(三世)沢村宗十郎 タぎリ(初世)芳沢いろは(細合羽摺 寛政十一 1799年十一月京南側芝居「けいせい阿波鳴戸」に取村)
同:松王丸 坂東三津五郎 源蔵 坂東重太郎 となみ 藤川花友(大錦ニ枚続 文政
五1822年一月角座「菅原伝授手習鑑」に取材)
重春:浅間左衛門 中村歌右衛門 けいせひ浪路 中村松江(大錦二枚続 天保二年九月中座 「復讐高音鼓」取材)
貞信Ⅰ:六十余州名所図会(横大錦揃物 安政一1854,1860〜慶応1865,1868頃)
小信(貞信Ⅱ):阪府高麗鉄橋之図(大錦三枚続 明治五)
『原色浮世絵大百科事典』より
392.綿屋喜兵衛 (原色)←綿喜,←金随堂,←前田喜兵衛←前田徳太郎
享和~明治19.5.20/大坂心斎橋塩町4-4/番付/〈別7715>,28 享和~明治/大坂心斎橋平野町/(原色) 享和~明治/大坂北堀江市之北川側/(原色)
『国立国会図書館所蔵 幕末・明治期 錦絵・摺物等の版元・印刷所一覧(稿) 』 宮地 哉恵子 より
国会図書館での分類は以下の通り
u011薩摩大合戦
2コマ目:篠原国幹・能勢十九郎・河野仲五郎・山内半左衛郎・貴嶋卯太郎・吉松大佐・村田三助・佐瀬一格・福原大佐・大島少佐・曽我少将
3コマ目:森中尉・揖斐大佐・村田新八・加藤中尉・鷲頭少尉・堅田少尉・川路利良・野津少将・山田少将・三好少将・山県参軍