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西郷星を取り上げた錦絵

 西南戦争錦絵美術館では以下の4点の作品が西郷星を取り上げている。御届け順にならべると、以下のようになるが、世相が乱れると天変が起きるという記事に始まり、人々がその星を信心するという西郷寄りのもの、また、科学的な解説を詳細に加えたもの、更に、時期が過ぎ、星の輝きも失せ戦乱も集結したあとの世相を語るなど、切り口が、いろいろなのが面白い。

 

058鹿児嶋征討記之内 〔西郷星出現之図〕

 

国会図書館蔵 明治十年八月  御届

 

 記事は以下の通り。「干時(ときに)明治十年八月初旬巽の方に當り金色の星夜九時頃より出現す往古より治乱の際必す天変ありと然るに今薩州鹿児島の賊平定(おだやか)ならざるの時なれバ世上誰言ふとなく此星をよび唱へて西郷星いふ」

 

B020流行星の珍説 りうこうほしのちんせつ 

 

大英博物館蔵 明治十年八   御届

 

 馬上大礼服の西郷と幟を持った桐野の姿。人々が信心したとの記事である。

B019俗称西郷星之図 ぞくにいふ さいがうぼしのづ 

 

大英博物館蔵 十年八月廿三日御届

 

 物干し台から火星をあおぎみる庶民。望遠鏡を使って、星の中に官服の西郷を見ている。記事の後半では火星の大接近に関して、科学的に解説を加えている。

 

S001西郷星地落人民之口 さいごうぼしちにおちじんみんのぐち 

 

静岡県立中央図書館蔵 明治十年十月三日御届

 

 西南戦争も一段落した後の世相を人々の愚痴で語らせる。落ちた西郷の首と輝きを失った西郷星をかけ合わせているのだろう。

 

女が主役の作品

女を描く

女が主役の画が意外とたくさんある。これは、4月中頃御届の作品にすでに現れており、熊本県下の戦いできっかけになる出来事があったのかもしれない。西南戦争錦絵美術館でご覧いただける作品の中では桜斎房種の筆になる「西郷の手に女兵隊在といふ」という記事が一番古い。(「035鹿児嶋紀聞」)そして、6月以降に鹿児島を舞台に現れる女隊は夫や我が子の敵討ちという側面が加えられるようになり、少しずつ戦いの現実が現れてくる。中でも「060鹿児島県下甲突川竹柵之図 〔賊徒の女軍川中の竹柵の縄を切る図〕」に描かれる、幼子を背負ったまま政府軍に撃ち殺される若い母親のエピソードはリアリティがある。

 一方、画としての構成の面白さや華やかさを追求するために女隊を登場させる画も多数見られる。着物の柄や髪の毛の表現また、薙刀を手にして派手な立ち回りなど、絵師の腕の見せ所として、真ん中に大きく描かれる画が多い。

 他に「053熊本城ノ将校賊軍嘲哢之図」「054鹿児島賊徒鎮静依諸将天盃頂戴之図」などで宴の様子が描かれ、女が登場している。

 


相撲取りの画

薩軍側相撲取りの画

034鹿児島新聞 山鹿戦争之図 4/5 男山新吉・咲ノ潟五郎吉・朝日山松五郎

050鹿児島新画之内 熊本県田原坂撃戦之図 4/5 朝錦寅吉・男山新吉・朝日山市五郎

008鹿児嶋戦争畳楯図 4/12 角力頭取朝男山市五郎・朝男山門人

077鹿児島血戦之図 〔角力畳を楯に勇戦〕 4/14 朝男山市五郎・弟子四人

 

以上御届順

 

 これらの作品に登場する相撲取りは薩軍に属して戦った相撲取りであるが、その実態を「鹿児島血戦之図」から伺ってみよう。京都の相撲取りである朝男山市五郎と弟子四人は鹿児島で興行していたが戦争勃発で「暴動の為に押留られ身を引かへりがたく」「先手に押立られ水に浸せる畳を持たせ銃丸を防がせ」る役を負わされるが、混乱の中で「角力ハ畳故手を負ずて山路を逃来り西京へ着せしとぞ」というように逃げてしまったようだ。京都の相撲取り朝男山市五郎と弟子が九州を興行して回っていたが鹿児島で戦争が勃発したため、拘束され畳を持って先頭に立たされ弾除けの役を担わされた。そして、戦闘の混乱の中で山中を逃げて京都へ帰った、というものである。江戸時代に正式な横綱免許を発行していた熊本の吉田司家が西南戦争で薩軍に加わるということがあるが、そういった積極性は皆無の記事である。おそらく真実であろう。ただ、無理矢理参戦させられたというエピソードはこの画中の記事のみで、他の3作品では力持ちの相撲取りが畳を持って弾除けになり、その陰から抜刀隊が攻撃したという記事になり、無理強いされたという事は全く読み取れなくなってしまう。

 

官軍側相撲取りの図

 官軍側で戦った、角力取梅ケ谷藤太郎は、明治9年に福岡県で興行を行っていた際に秋月の乱に遭遇し、反乱氏族の平定に活躍した。

 

023暴徒安見橋合戦 9/4

 

は、熊本城攻防の戦いの中で梅ヶ谷が官軍側で戦っている姿を取り上げている。もちろん、畳は使用していない。

 

 


西郷さんの画

1 仏涅槃図と西郷涅槃像

   高野山金剛峰寺所蔵の仏涅槃図            

 西郷涅槃像は仏涅槃図に習って制作された物である。「仏涅槃図は釈迦入滅を、横臥する釈迦を中心に菩薩や仏弟子、会衆や動物に到るまでらが釈迦を取り囲み、嘆き悲しむ情景を描いた仏画」であり、「釈迦を追善供養する涅槃会の際に懸用された」というのだから、この作品はまさに西郷を仏になぞらえて、追善供養する作品である。 

 十月五日の御届なので九月二十四日の隆盛切腹の10日あまり後には企画され、下絵が届けられた事になる。鹿児島勢の劣勢を察知して早くから準備されていたのかもしれない。

 周りを取り囲んで嘆いているのは『士族』『隆盛権妻』『坊主』『ごろ付』『馬』『娘』『西郷ひなたれん』『へび』『うし』『めくら』などで余白には嘆きの言葉がびっしりと書き込んである。書き込みの詳細は西郷涅槃像当該ページをご覧ください。 

 

 西郷さんの表情は目を閉じてあくまでも静かである。その顔は身体を含めていっさいの迷いが無くなった、まさに涅槃寂静の表情である。このホームページの表紙に使っている所以でもある。

 

(「」内は、「涅槃仏」 ウィキペディア日本語版:最終更新 2011年8月17日 (水) 17:01UTCの版 より引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/涅槃図#.E4.BB.8F.E6.B6.85.E6.A7.83.E5.9B.B3)

 

上の画像は「仏涅槃図(部分、高野山金剛峯寺所蔵、平安後期)」

http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Buddha%27s_Nirvana.jpg

 

西郷涅槃像
西郷涅槃像

2 西郷星

 西郷さんが如何に庶民に慕われていたかを示すもう一つの錦絵が西郷星をあつかった画である。ウィキペディア日本語版によると「西郷星(さいごうぼし)とは、明治10年 (1877年)頃、西南戦争による世の混乱の中、西郷隆盛の死を悼む人々の間で流布した噂である。」「この頃、火星の大接近があり、最接近時の9月3日には距離5630万km、光度-2.5等あまりにまで輝いていた。当時の庶民はこれが火星である事は知らず、「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった。やがてこれに便乗し、西郷星を描いた錦絵が何種類も売り出されて人気を博したと、エドワード・モースの当時の日記にも記されている。また、この時に火星の近くに位置していた土星も、桐野利秋に因んで桐野星(きりのぼし)と呼ばれた。」とある。 

 

 添えられた梅堂国政の錦絵「鹿児島各縣 西南珍聞」(下の図)の記事=タイトルは「俗称(多分賊将とかけている)西郷星之図」、を読むと、当時の庶民がただ頭から「西郷星」という星を信じ込んでいた訳ではない事が見て取れる。面白いのが、大阪日報が夜に物干に上がって火星を観察する都市の市民の姿を伝えているのに対し、東京繪入新聞は火星大接近の科学的な解説をのせている事。その2つのソースをあわせてこんな錦絵が作られているのは、まったく商魂逞しいといっていいのかもしれない。

『俗称西郷星之図

大阪日報に此節毎夜一時頃より

巽の方に現ハれる赫色の星を

望遠鏡で能見ると西郷隆盛が

陸軍大将の官服を着て居る

体に見ゆるとて涼みがてらでハ

あらうけれとも此処彼方の物干で

夜を更すも有るとか此妄説

日々盛んなりと雖も是ハ火星

にして異なる星にあらず

火星ハ南方に當りて輝く

木星また北方に薄くかがやける

土星などとおなじく常に

光明を発する故に一目見て

遊星にして恒星にあらぬ

事なりとぞ此遊星時として

光輝をますハ年期きたりて

其(その)運行線道(めぐるみち)の太陽に近づき

たるにて火星ハ地球にも又

近寄ることある故にひかりも

増しそのかたち大きくも見ゆる

なりと東京繪入新聞に出たる

茲に畧(りゃく)して記すものなり』

 

「西郷星」(2010年3月31日 (水) 09:58 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。

http://ja.wikipedia.org/wiki/西郷星

 

画像「Drawn ukiyoe of 西郷星(Saigo star)」『ウィキペディア日本語版』。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Saigo_star.jpg

 西南戦争錦絵美術館の中では「058鹿児嶋征討記之内 〔西郷星出現之図〕」にその西郷星が描かれているが、星の中に姿は無く、ただ、光り輝く星を西郷たちが眺めている図柄になっている。記事は


「干時(ときに)明治十年八月初旬巽の方に當り金色の星夜九時頃より出現す往古より治乱の際必す天変ありと然るに今薩州鹿児島の賊平定(おだやか)ならざるの時なれバ世上誰言ふとなく此星をよび唱へて西郷星いふ」


と、比較的冷静に伝えている。八月中の御届である。

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